2019年12月19日木曜日

共観福音書問題・1

PCに保存されたファイルを整理していると、神学校の終了論文が見つかりました。私は西南学院大学神学部の出身なのですが、当時は大学院がなく、学部卒業後は専攻科に進むのが一般的でした。その終了論文を分かりやすく書き直し、このブログで公開することにしました。ただ、論証の専門的なところは省き、一般的な部分だけですので、悪しからず。しばらくは、「共観福音書問題」を取り上げます。

[共観福音書問題とは]
私たちの前にある最初の三つの福音書―マルコによる福音書(以下マルコと表記)・マタイによる福音書(以下マタイと表記)・ルカによる福音書(以下ルカと表記)―は、共観福音書と呼ばれています。現在最も多く流布している『聖書 新共同訳』で記事の並行箇所を見ると、この三つの福音書が非常によく似たものだということに気づきますね。たとえば、マルコの記事で他のいずれとも重複していない独自の記事はわずか4箇所しかありません。しかし、詳しく読んでみると、次のような相違点が浮かび上がってきます。

(1) それぞれの記事の配列が異なっている。たとえば、『聖書 新共同訳』で「ナザレで受け入れられない」というタイトルがついた記事(マルコ6,1ff、マタイ13,53ff、ルカ4,16ff)は、マルコでは12弟子を派遣する記事の直前に置かれているが、マタイでは派遣後さまざまな譬話をされた後に置かれ、ルカでは公生涯の最初の部分に置かれている。
(2) 並行記事であっても、言葉遣いに大きな違いがある。イエスの最期の言葉は、マルコでは「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」、マタイでは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」、ルカは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」 である。
(3) 記事に用いられた資料の選択が異なっている。マルコにないイエスの誕生記事、幼少物語、復活顕現物語はマタイとルカにはあるものの、両者は内容的に大きく異なっている。
(4) 内容的にはマルコがイエスの行動を中心に描かれているのに対し、マタイとルカではイエスの言葉集が大きな位置を占めている。しかも、それらの多くは両者に共通している。

なぜ、マルコ、マタイ、ルカの3福音書がこれだけよく似ているのか、また、それにもかかわらず数多くの相違点があるのか、これは「共観福音書問題」と呼ばれています。この問題を解決するためには、それぞれの資料的関係の解明がなされなければならず、そのために古来いろいろな説明がなされてきました。次回から、それらを概観していくことにしましょう。

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