2020年8月24日月曜日

まもなくかなたの

まもなくかなたの ながれのそばで

たのしくあいましょう またともだちと

神さまのそばの きれいなきれいなかわで

みんなであつまる日の ああなつかしや(聖歌 687番)

高カリウム血症で心臓が止まりかけた時、この讃美歌が頭の中に鳴り響いていたことを思い出します。医師や看護師があわただしく駆け回り、「心臓がいつ止まるかわからない。危険な状態だ」と告げられた時、1、2回しか聞いたことのないこの讃美歌が流れてきたのは、どうしてでしょうか。ただ、この曲を聴きながら、死への不安が消えていったのは事実です。アーメン!


2020年8月15日土曜日

敗戦の日に思う

 今から75年前、1945年8月15日、日本(当時は大日本帝国)はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏しました。初めから結果は見えていた、アリが象に挑むような無謀な戦いだったと、戦後ある評論家が語っていました。

 この敗戦という事実をどのように感じたか、当時の人々にはさまざまな感慨があったようです。一般の市民は「ああ、これで空襲におびえる生活をしなくてすむ」と思った人が多かったそうです。

 それに対し、いわゆる知識人と呼ばれる人たちの反応はまた違っていました。雑誌「近代文学」に集まった小田切秀雄、荒正人、本田秋五たちは敗戦を「解放」として捉えていました。抑圧された状況から解放され、自由な時代がやってくると手放しで喜んでいました。

 しかし、彼らより一世代年下、敗戦のとき20歳前後の青年だった人たちは、さらに違う反応を示しています。たとえば、詩人・評論家の吉本隆明氏は、自分が信じていた思想の一切が音を立てて崩壊し、声を出そうとしても「あっ」とか「うっ」とかしか出てこなかったと書いています。彼が20台に書き残した「初期詩篇」や「初期ノート」にはその深い虚無感が全編に漂っています。

 戦後一躍流行作家になった太宰治は、その作品の主人公の口を借りて、太平洋戦争に日本は「負けたんじゃない。滅んだのよ」と書きました。わたしは、これは大変鋭い指摘だと思います。敗戦を解放と捉え有頂天になっていた人たち、とくに戦時中共産主義から転向しながら何の責め苦もなく楽天的な考え方を披瀝している知識人たちへの、非常にラジカルなアンチテーゼだったのではないでしょうか。

 太宰治の戦時中の作品に「待つ」という短編があります。省線の駅で何かを待ち続ける若い女性、彼女はいったい何を待っているのでしょう。ある評者は「イエス・キリストを待っている」と言います。でも、わたしは違うと思うのです。この何の変哲もない小説は「時局にふさわしくない」という理由で発表停止処分を受けました。その間の事情を残された文献資料から考えるに、彼女が待っていたのは「平和」「平和な世の中」だったのではないかと、わたしには思えるのです。

2020年8月9日日曜日

被爆のマリア

  75年前の今日、1945年8月9日午前11時2分。長崎の町に一発の原子爆弾が投下されました。長崎の町は一瞬にして壊滅し、何万という人々がその時のままの姿で、ある人は再会を喜んで抱き合い、ある人は机について仕事をしているそのままの姿で忽然と姿を消しました。後に残ったのは累々たる屍と、重い火傷を負って皮膚が垂れ下がったまま浦上天主堂に向かって歩き続けるたくさんの人々の群れでした。その天主堂は原爆が落とされた夜突然出火し、崩れ落ちたと聞きます。

 その瓦礫の中から、一体のマリア像が掘り出されました。一人の若い神父が、信者と協力しながら、まだ余熱の残る瓦礫を掘って見つけ出したそうです。

 焼け爛れたその顔に流れる一筋の涙。肉親を失って悲嘆に暮れるたく さんの人々の涙と同じ悲しみの涙を、掘り出されたたマリアもまた流したのかもしれません。

 被爆のマリアと呼ばれるマリア像の写真があります。悲しみをたたえたマリアの顔は、わたしたちに何を訴えているのでしょうか。

 わたしの妻の母上は、この浦上で被爆しました。そのためかどうかは分かりませんが、彼女は癌で亡くなりました。放射線によって遺伝子が変化しなかったとは誰がいえましょう。わたしの妻も47歳の人生を母と同じ病で閉じ、天に召されました。そしてその遺伝子は、3世代後のわたしの子供たちにまで流れているかもしれないのです。

 戦争はしてはならない。原爆も絶対に使ってはならない。神はわたしたちを滅ぼすために造り出されたのではなく、永遠の命に生きるものとなるように造られた。イエス・キリストを、その福音を信じることによって、わたしたちは平和のうちに生きることが出来、永遠の命を得ることが出来るのです。

 今、BGMで「被爆のマリアに捧げる讃歌」という曲を流しています。この世に神の平和が満ち溢れ、人々の心が愛で満ち溢れますように。被爆のマリアが祈ったであろう祈りを、わたしもまた祈らずにはいられません。

2020年8月8日土曜日

長崎の鐘

 召されて妻は天国へ/別れてひとり旅立ちぬ/かたみに残るロザリオの/鎖に白きわが涙/なぐさめ はげまし 長崎の/ああ 長崎の鐘が鳴る(サトーハチロー作詞、古賀裕而作曲「長崎の鐘」より

明日、8月9日は長崎原爆の日である。日本は太平洋戦争末期、広島と長崎に原爆を落とされた。罪もない何十万という人たちが焼き殺された。それだけではない。生き残った人々は放射能に蝕まれ、病を得て死んでいった。

私の亡き妻もその親戚もすべて癌で亡くなった。妻は浦上四番崩れと呼ばれるキリシタンの系譜に繋がる家に生まれた敬虔なカトリック信徒である。あの戦争がなかったなら、あの日原爆が落とされなかったら、妻はまだ元気だったかもしれない。

机の上に妻がいつも持っていたロザリオがある。それを見ながら、私は「長崎の鐘」を口ずさんでいる。悠久の平和を願いつつ。

2020年8月6日木曜日

広島・原爆の日に思う

今日8月6日は、広島に原爆が落とされた日です。この時期になると、「故郷の街焼かれ・・・」という歌と、「原爆忌祈りのさなか赤子泣く」という句をいつも思い出します。10年以上前に書いた文章があるので、再録いたします。HP「高山裕行アーカイヴ」の「コラムぶどうの樹」にも載せています。
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「原爆忌祈りのさなか赤子泣く」
 ずいぶん前、こんな俳句が入試に出たことがあります。誰の作品かは忘れてしまいました(;_;) けれど、大変印象深いものだったことはたしかです。
 広島でも長崎でも、原爆が投下された日を記念してさまざまな集会が催されます。今年の広島での原水爆禁止世界大会には、国連事務総長を初めアメリカ政府関係者も参加したということです。その様子を見ていると、この作品の背景は長崎なのかなという気がします。
 祈りの長崎と言われるように、長崎原爆の日は平和の祈りで満ちているそうです。カトリック教会では平和のミサがあげられ、プロテスタントの教会でも平和を祈る礼拝が捧げられます。今年は長崎バプテスト教会が会場になっているということです。
 長崎平和公園に行くと、指を天に向けた大きな人物像(?)が目に留まります。わたしは、なぜかこの像が好きではありません。平和を祈る姿を現しているそうですが、その姿に何か猛々しいものを感じるのはわたしだけでしょうか。それよりも、廃墟と化した教会堂から掘り出された「被爆のマリア」像のほうがはるかに印象的でした。
 「被爆のマリア」が安置されている浦上天主堂。その真上で人類史上2発目の原子爆弾が炸裂したのです。一瞬にして何万人もの人々が息絶え、さらに何万人もの人々が怪我をしました。数千度といわれる熱線に皮膚を焼かれ、ぼろぎれのように皮膚を垂らせながら水を求めてさまよう人々の群れ。長崎大学医学部の医師でクリスチャンの永井隆博士は、その時の様子を克明に記録しています。
 生き残った人々も決して無事ではありませんでした。強い放射能がその体を蝕み、無数の人々が急性原爆症で亡くなったそうです。1週間も経たないうちに髪の毛は抜け落ち、鼻や口から血を流して死んでいく。どうすることも出来ず、彼らを見送るしかなかった人たちの無念さは、今のわたしたちには想像することすら出来ないでしょう。
 原爆症の急性期を乗り越えて生き残った人々の一人に、わたしの義母がいました。彼女は、わたしが結婚する数年前、癌で天に召されました。彼女と共に被爆した親戚は皆、癌で亡くなりました。原爆の強烈な放射能が、彼らの遺伝子を変化させ、癌を発病したのではないか。わたしにはそう思えてなりません。
 その突然変異した遺伝子は、子孫に伝わり、彼らの体内で癌を発症させる。わたしの妻は、義母よりさらに10歳若い47歳で天に召されました。最後は卵巣癌でした。その遺伝子はわたしの娘にも引き継がれています。
 何世代にも渡って苦しみを強いる原爆。原爆の廃棄と恒久の平和を願って、わたしたちは祈るのです。静かに祈りを捧げるひと時、原爆投下の時刻を告げる鐘の音が響くと、人々の祈りは最高潮に達します。声にならない声、静かな祈り。その静寂を破って響く赤ちゃんの泣き声。でも、誰も振り向こうとはしない。その元気な泣き声が、原爆のない未来を象徴していることを皆知っているから。泣き声と祈りの声が渾然一体となってわたしたちの耳に届いて来ます。

2020年1月6日月曜日

超新星が見えるかな?

オリオン座の一等星ペテルギウスに何か異常が起きているのではないか、天文学者たちがそういう危惧を持っているそうだ。ペテルギウスの光度がまれにみるほど下がっているのだ。もっとも、この星は変光星なので暗くなるのは当然なのだが。ただ普通の減光とは規模が違うらしい。

ペテルギウスは太陽の1000倍の大きさと20倍の質量を誇る赤色超巨星である。赤色超巨星は星の進化の最終段階だと言われている。星の大きさなどによって最後の姿は異なるが、ペテルギウスの最後は超新星爆発を起こすのではないかと思われている。

天文学者によると、超新星爆発の前に光度が極端に下がるらしいので、現在の(正確には今見えている)ペテルギウスは近い将来超新星爆発を起こす可能性がかなり高いそうだ。とはいえさすがに天文学の世界。すぐにというのが何百年も先のことかもしれないのだけれど。

ペテルギウスが爆発して、その光が地球に届いたら、真夜中でも影が出来るくらいの明るさになるということだ。そうなるとオリオン座の姿も変わってくるかもしれない。待ち遠しいが私が生きている間に遭遇する可能性は低いようだ。残念!


2020年1月5日日曜日

50年前に起きた盗作事件の真相

故谷沢永一氏の著書に『完本紙つぶて』(1978 文藝春秋刊)という「書評コラム」の集大成がある。その中にある「日本の〝盗作史〟を」という文章は1970年4月5日の日付があり、ある大学で起きた、教授の盗作事件を取り上げている。盗作を発見したのは、この私なので、いきさつを記しておきたい。

当時私は大学2年生で、近代文学の学者を目指していた。それは学年末考査の前であった。授業で教授の著書『日本近代文学状況論』が試験の参考文献として指示されたのである。当然のごとく購入し、読み始めたのだが、何かが引っかかる。調べてみると、別人の論文を断りもなしに掲載しているのが分かった。

これは明らかに盗作だ。どうしよう。目をつぶることもできた。しかし、事はあまりに大きすぎた。自分だけしか真相を知らないのはおかしい。友人と相談し、試験が始まる前に受講者全員に真相を明らかにすることにした。試験は中止され、教授会が開かれたのは当然であろう。

その後の私の心境は、別の文章に記したので、ここでは取り上げないことにする。ただ私の一生を左右する出来事だったことだけは確かである。