75年前の今日、1945年8月9日午前11時2分。長崎の町に一発の原子爆弾が投下されました。長崎の町は一瞬にして壊滅し、何万という人々がその時のままの姿で、ある人は再会を喜んで抱き合い、ある人は机について仕事をしているそのままの姿で忽然と姿を消しました。後に残ったのは累々たる屍と、重い火傷を負って皮膚が垂れ下がったまま浦上天主堂に向かって歩き続けるたくさんの人々の群れでした。その天主堂は原爆が落とされた夜突然出火し、崩れ落ちたと聞きます。
その瓦礫の中から、一体のマリア像が掘り出されました。一人の若い神父が、信者と協力しながら、まだ余熱の残る瓦礫を掘って見つけ出したそうです。
焼け爛れたその顔に流れる一筋の涙。肉親を失って悲嘆に暮れるたく さんの人々の涙と同じ悲しみの涙を、掘り出されたたマリアもまた流したのかもしれません。
被爆のマリアと呼ばれるマリア像の写真があります。悲しみをたたえたマリアの顔は、わたしたちに何を訴えているのでしょうか。
わたしの妻の母上は、この浦上で被爆しました。そのためかどうかは分かりませんが、彼女は癌で亡くなりました。放射線によって遺伝子が変化しなかったとは誰がいえましょう。わたしの妻も47歳の人生を母と同じ病で閉じ、天に召されました。そしてその遺伝子は、3世代後のわたしの子供たちにまで流れているかもしれないのです。
戦争はしてはならない。原爆も絶対に使ってはならない。神はわたしたちを滅ぼすために造り出されたのではなく、永遠の命に生きるものとなるように造られた。イエス・キリストを、その福音を信じることによって、わたしたちは平和のうちに生きることが出来、永遠の命を得ることが出来るのです。
今、BGMで「被爆のマリアに捧げる讃歌」という曲を流しています。この世に神の平和が満ち溢れ、人々の心が愛で満ち溢れますように。被爆のマリアが祈ったであろう祈りを、わたしもまた祈らずにはいられません。
0 件のコメント:
コメントを投稿